歴史と伝統に育まれた香川漆器

香川の漆芸は、藩政時代、高松藩主の保護と理解のもと発展してきました。寛永年間に水戸の徳川家から高松へ封入した松平頼重によって茶道、華道、俳諧などが推奨され、文化的な風土が育まれたのです。中でも、漆工芸の分野で玉楮象谷の功績が香川の代表的な産業発展の礎になりました。玉楮象谷は、文化3年(1806年)鞘塗師、藤川理右衛門の長男として生まれ、20歳頃に京都へ遊学。絵師や彫刻師、塗師と交友を深めます。京都では有名な寺に秘蔵されている書、画、漆芸品にふれる機会に恵まれたり、中国伝来の存清や紅花緑葉漆器を研究し、新しい漆芸の分野を開拓しました。象谷は三代の高松藩主に仕え、香川漆器の始祖といわれ、数多くの作品を残しています。玉楮象谷によって確立した蒟醤、存清、彫漆の伝統技法は、明治、大正、昭和へと幾多の名工によって受け継がれ、昭和24年には商工省から重要漆工集団地として指定され、また昭和51年2月には四国で始めて「蒟醤、存清、彫漆、後藤塗、象谷塗」の5つの技法が国の伝統的工芸品の指定を受けました。こうした玉楮象谷以来、香川漆器を発展させたのは、蒟醤の人間国宝、故 磯井如真、彫漆の人間国宝、故 音丸耕堂、存清の分野では故 香川宗石などの巨匠によるものです。その後も、磯井正美、太田儔、山下義人が蒟醤の重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に認定されています。また、現代工芸の分野では故 明石朴景や故 大西忠夫らが漆芸の新境地を開拓。絵画的な表現に昇華させました。現在は、後継者育成を目的に香川県立高松工芸高等学校や香川県漆芸研究所に於いて、漆芸の伝統技術の保存と新たな可能性を追求する努力が積み重ねられています。